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IN MY ROOM

IN MY ROOM

天国の父へ~

お父さんへ
今日ふとカレンダーを見てあっと思ったの。6月12日はお父さんの誕生日だったね。ちひろはこの春大学生になったのよ。お父さんが初孫って一番可愛がってくれたものね。ちひろとわたし、「あ!おじいちゃんの誕生日だ」って同じようにさけんでいました。「お祝いしなきゃ!」と二人で顔を見合わせてああ~おじいちゃんはいないんだ!ととっても寂しくなりました。おとうさんの好きだったお菓子を
今度神戸で買ってくるね。「アンネ・フランクと同じ誕生日」というのがおとうさんの口癖だったよね。よく食べ、よく眠り、豪快だった人生も事故さえなければもっとenjoyできたのにね。。。おとうさんが愛してくれたちひろは4歳で別れなければならなかったこと、とても無念だったって今でもいっています。今成長した娘たちを見てお父さんにも見せてあげたかったなあ~と心からそう思います。
なになに?天国で見守ってくれてるって?うん、ありがとう。今度イギリスへ行くことになったのよ。お父さんが生きていたらきっと喜んでくれるのに。。。
「3週間といわずいってこい!行きたいだけ行ってこい。孫はワシがみとってやるで」なんてきっといってるかもしれないね。
旅行が大好きだったお父さんのことだから、自分のことのようにあれこれ計画を
たてながら、その顔が目に浮かぶようです。

昔からお父さんは海外旅行が好きだったものね。
いつも地球儀を回しながら、あなたの夢は世界を駆け巡っていたのでしょうね。
貧しい暮らしの中から、密かなプランがあったのね。
おじいちゃんをソ連へ連れていってあげたとき、それはおじいちゃんのいう
「死に土産」になってしまったけれど、わたしはおじいちゃんの人生の中で
一番輝いていた思い出になったと思うよ。
「外国へ行くことは大きな世界を知ること」といつも話していたお父さん。
おじいちゃんを連れてソ連へ行った時も、お母さんとのドイツ旅行も何も心配しなかったけれど、「ヨーロッパ放浪の旅」だけはハラハラ・ドキドキさせられました。フランスへ行ったおとうさんが2ヶ月帰ってこなかった時は本当に心配になったのだから~真っ黒でボロボロの服を着たお父さんが帰って来た時の姿は子ども心にも焼き付いて離れません。パスポートを紛失し、帰るに帰れなくなってなんと
フランスの片田舎のペンションで皿洗いをしながら、お金を貯めていたとは誰が想像できましょう。ダイナミックなお父さん!でも何て国際的なお父さんなんでしょう。ただひとつ心残りは1回でいいからわたしはお父さんと海外へ行きたかったよ。いつか約束してたよね?いっしょに海外旅行しようねって。
今、元気でいてくれたらきっとイギリスへ誘ってる。喜ぶだろうなあ。
でも、そんなお父さんの人生は苦しいことの連続だったね。
国鉄をレッドパージで首になり、病院のスリッパ係をして生活を支えた毎日。
わたしが生まれた頃からは、満州時代に覚えたギョウザを開発、独自の料理方法で
お母さんといっしょに店を始めてこれが又大繁盛~
大変な時代にはたくさんの人が支えてくれたましたね。
幼い頃は早くに父を亡くし、貧しかった一家を少年時代から支えていたというあなたのたくましさ、あなたを見ていると「人生は生きてりゃいいんじゃ」という一言でジ・エンド。何よりも未来に対する楽観性、おおらかさがわたしは好きでしたね
事故さえなければ、今も元気で走り回っているんじゃないかな。
早すぎたことがなによりも悔やまれます。
わたしの人生は転機がおとずれるたび、天国のお父さんにたずねています。
答えてくれる訳じゃないけれど、写真の中のお父さんはきっとニコニコしていうでしょう。「迷わずにいきなさい」と。
うん、頑張るね。お父さんがわたしたちに残してくれた宝物は唯一「平和」という言葉だと思っています。6と9のつく日は広島と長崎に原爆が落とされた日。
「熱い、熱い~いうて死んでいった人のことを思うとなあ。ワシはしんどい時も
署名にたたなあかんと思うてなあ」
街頭の署名にもよく出ていたね。あなたは人生をかけてその言葉の通り貫いてくれました。今又きな臭い動きになっています。
でも天国で見守っていてね。亡くなってしまった人は命日が誕生日になるのかなあ
いや、やっぱりアンネ・フランクと同じ誕生日だったこの日をわたしたちは覚えておこう。だってお父さんのような「超個性的な人物」は2度とこの地球上にはいないと思っているからね。その人が誕生した日はやっぱりAnniversary
ですものね。
密かにいうから聞いてね。
「お父さん、お誕生日おめでとう!」


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